今回は、柴サマ事、柴田恭兵さんを採り上げたいと思います。
私と柴田恭兵さんとは、年齢的に一回り半ほど違います。
なので、私が幼い頃の私が見ていたテレビには、大人としての柴田恭兵さんが出演していました。
幼い頃よく見ていたテレビドラマでは、やはり『俺たちは天使だ!』がやはり印象的でした。
【画像】『俺たちは天使だ!』
この中では、コミカルな役を演じていました。
恐らく今見ても楽しめると思います。
後は、比較的に近年になるのかもしれませんが、やはり「ハゲタカ」は、記憶に深いし、柴田恭兵さんもいい演技していたと思います。
【画像】ハゲタカ
この方は、コミカルな役から重い役まで出来る俳優さんです。
そんな柴田恭兵さんですが、あまりこの方の今までの事をあまり知らないのでその辺を含めてみていきたいと思います。
まずは、プロフィールから。
Contents
柴田 恭兵(しばた きょうへい)さんのプロフィール
名前:柴田 恭兵(しばた きょうへい)
本名:柴田 恭兵
生年月日:1951年8月18日(66歳)
出生地:静岡県清水市(現:静岡県静岡市清水区)
身長:176 cm
血液型:AB型
職業:俳優・歌手
ジャンル:映画・テレビドラマ
所属事務所:柴田恭兵事務所
活動期間:1975年 –
配偶者:あり主な作品:
テレビドラマ:
『大追跡』 / 『俺たちは天使だ!』 / 『赤い嵐』
『想い出づくり。』 / 『澪つくし』
『あぶない刑事』シリーズ / 『武田信玄』
『勝手にしやがれヘイ!ブラザー』
『はみだし刑事情熱系』 / 『ハゲタカ』 / 『軍師官兵衛』
映画:
『チ・ン・ピ・ラ』 / 『野蛮人のように』
『道』 / 『あぶない刑事』シリーズ
『べっぴんの町』 / 『福沢諭吉』
『![ai-ou]』 / 『集団左遷』
『半落ち』 / 『ハゲタカ(映画版)』
生まれ育ちは?
柴田恭兵さんは、清水の次郎長で有名な静岡県清水市(現在町村合併で静岡市)に生まれました。
実家は草薙駅前にある魚屋の”魚新”と言う店だそうです。
そして地元の清水市立第七中学校(現:静岡市立清水第七中学校)を経て、日本大学三島高等学校を経て日本大学経済学部卒業しました。
芸能界入りの意外なキッカケ
元々は、柴田さんは、芸能界に入る予定なんて無かったそうです。
その証拠に大学を卒業してサラリーマンとして就職しています。
どんなサラリーマン時代だったのか想像できませんが。
このサラリーマンになった理由が後年芸能界入りするキッカケのもなります。
そもそもサラリーマンになったのは、大学時代から付き合っていた女性と結婚するための結婚資金を貯めるためだったそうです。
就職の理由が結婚資金を貯めるためとは、早く身を固めたかったのですね。
意外と堅物の安定志向なのかもしれませんね。
恋の行方はどうなったのか?
しかしその結婚は、うまくいかず結果的には、結婚できず相手の女性とは、別れる事になったそうです。
相手の女性も相手を見る目がなかったんですね。
柴田さんは、失恋のショックが大きかったようです。
そうなると、結婚資金を貯める必要が無くなったのでサラリーマンをあっさりと辞めてしまったそうです。
サラリーマンをあっさり辞めてしまえる時代だったんですね。
確かに昔はそうでした。
仕事はたくさんありましたので辞めても問題有りませんでした。
失恋後
結婚が破談になり、サラリーマンを辞めて、その後どういう経緯を経たのかは不明ですが、東京キッドブラザースの主宰者である東由多加に見出されたそうです。
その時に、柴田さんも「失恋のショックから立ち直るため」と言う理由があったので1975年(昭和50年)に入団を決意したそうです。
この辺が理解できないところですが、失恋を忘れるために芸能界入りというのは中々理解できませんね。
しかし、そこは常人でないところです。
でもその結果は、俳優柴田恭兵が誕生したのだから良いとしましょう。
そして舞台「十月は黄昏の国」でデビューし徐々に注目されるようになった。
その後は、連続テレビドラマを中心に活動したそうです。
そうして、1979年テレビドラマ「俺たちは天使だ!」で一躍、注目されます。
一番冒頭であげたドラマです。
あのドラマが柴田恭兵さんを一躍注目株に押し上げた記念する作品という事を私自身初めて知りました。
さらなる飛躍のキッカケ
こうして、一躍注目される新人ルーキーが出てきたような物で、さらなる飛躍をするのは、もう一つキッカケが必要です。
そのキッカケとなったのが、テレビドラマ「大都会PARTⅡ」へのゲスト出演者をした事です。
【画像】「大都会PARTⅡ」
この作品も思い出深い作品です。
この作品石原裕次郎さんの主演の作品で、「太陽にほえろ」・「大都会」・「西部警察」石原プロが手がけた人気刑事物の三部作の中の一つですね。
この中には、以前採り上げた松田優作さんも出演しています。
ちなみにこの大都会ですが、監督もすごくて「蘇る金狼」等多くの松田優作出演作を手掛けた村川透監督が、柴田さんを、ゲスト出演者にと推薦してくれたそうです。
この辺から本格的な実力俳優へと飛躍していく事になったターニングポイントの作品となりました。
しかし皮肉な物で好きな彼女に振られたおかげでサラリーマンから俳優へ華麗なる転身をしたのですから何がどうなるのかわからないものです。
趣味は?
柴田さんと言えば、趣味はゴルフと野球だそうです。
次は、その趣味について見ていきたいと思います。
ゴルフ
元々柴田さんは、ゴルフを趣味にしていたわけではありません。
柴田さんがゴルフを始めたキッカケは、ドラマ『あぶない刑事』の中の共演者中条静夫の勧めで始めたそうです。
ちなみに柴田恭兵さんのニックネームの「恭サマ」は名付け親は、『あぶない刑事』で共演した舘ひろしさんが命名したそうです。
現在もゴルフは行っていますが、グループプレーでなく単独でプレーしているそうです。
野球
こちらは、結構本格的に行っているそうです。
さすがに野球は、単独で行うわけには生きませんから、草野球チームに所属しているそうです。
草野球なので定期的に試合をしているそうです。
加入している草野球チームですが普通1チームに加入してプレーするのが一般的ではないでしょうか?
しかし柴田さんよほど野球が好きなようで、多い時で4チームに加入していたそうです。芸能人としての仕事もハードで時間的にタイトではないかと思うのですが、4チームも加入するのだから体力・気力がハンパないのでしょうね。
その成果なのかもしれませんが、1994年(平成6年)には関西テレビ放送制作『チャレンジャー!柴田恭兵 ボクの夢がかなう瞬間』という番組の企画で、アメリカ合衆国独立リーグ(セントラルリーグ)のAlexandria Acesの入団テストに挑戦したそうです。
さすがに野球の本場アメリカのチームだけ有って、合格とはならなかったがチームの計らいで1日だけの契約を結び(契約金26ドル・背番号3)、プロ野球選手として公式戦に1試合出場した(成績:4打数2安打1盗塁)。
おめでとうございます。
では、今回はここまでにしたいと、思います。
柴田さんの活躍について見てきましたが、次回は、柴田恭兵さんが病気を患ったそうです。
その辺について見ていきたいと思います。
続きは以下のページになりますのでどうぞよろしくお願いします。
「柴田恭兵さんが病気、肺ガン手術・完治か?現在は?」
「柴田恭兵さんの嫁は加奈さん?画像は?馴れ初めは?・出身は愛媛か?」
「柴田恭兵さんの息子は何人?・名前は?・ 鮎さんの死因は?大学は?」
では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。