前回までに、高倉健さんの結婚するまでの事を書きました。
今回は、そんなお二人が結局離婚しました。
今回はその辺の原因など見ていきたいと思います。
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高倉健さんと江利チエミさんの離婚理由は?
そんな熱々のお二人ですが、最終的には離婚してしまいます。
一体何があったのでしょうか。
理由その1 流産
江利チエミさんは、誰よりも子供を望んでいたみたいですが、そんな江利さんに、結婚3年後の25歳である1962年、待ちに待った待望の子宝を授かったものの、妊娠高血圧症候群を発症してしまい、中絶を余儀なくされてしまったそうで、結局、中絶し流産したそうです。
理由その2 自宅全焼
流産した事は、江利さんにとっては、かなり精神的にショックだったみたいです。
しかし、そんな江利さんに追い打ちをかけるように、1970年には自宅が全焼するという不運も重なったそうです。
お互いの愛の巣が全焼した事も江利さんにはショックでした。
理由その3 声が出なくなる
まあたいがい不幸が重なるものだと思ってしまいます。
しかし、更に追い打ちが重なります。
31歳の時にはのどにできたポリープのため声が出なくなったそうです。
歌手にとってのどにポリープが出来るのは致命的ですね。
不幸中の幸いで何とか手術でポリープ摘出し回復はしたものの、精神的ショックは大きかったそうです。
その結果、32歳のときには紅白歌合戦の出場枠からも落選してしまったそうです。
今でこそ紅白を辞退する歌手も多いのですが、あの当時は紅白に出る事が一流の証と言われていた時代でしたからショックははかりしれません。
その頃の高倉健さんは仁侠映画で活躍して着実に人気実力を付けていきいつしか実力が逆転していきました。
理由その4 異父姉の出現
大概踏んだり蹴ったりの状態ですが、最後のとどめの一発として江利さんの元に「私はあなたの姉よ」と言って、女性が現れたそうです。
色々調べてみると、母の歳子には、チエミさんの父親と結婚する前に別の男性との間に、子どもをもうけていたそうです。
その別の子供の事を江利さんは、このことが起こるまで知らなかったそうです。
何かきな臭い臭いがしてきました。
その時の事をチエミさんは、後に
「その姉に初対面とは思えない親近感を覚えた。」
と語ったそうです。
そこまでは良かったのですが、その後江利さんの取った行動が非常にまずかったです。
それがなければ恐らく高倉さんとは、離婚せずに済んだと思います。
そこから江利さんが取った行動は、身寄りのないこの女性と同居し、金銭面の管理を任せてしまいまったそうです。
同居までは良い。
されど金銭面まで任したのはまずすぎるでしょう。
それから6年後のある日、その姉が突然失踪したそうです。
これドラマならもう次の展開が予想が付いてしまうところですが、これは現実の話で、次の展開は、事務所のお金を持ち逃げし、家を担保に、今のお金にして10億円以上もの借金をしていたことが判明したそうです。
動機は?
しかしこの時は、まだ江利さんも気丈に振る舞っていたようですが、何故そのような行動を取ったのかその理由を知ったときは、江利さんのショックと落胆は計り知れなかったそうです。
事の顛末として、この姉は、逮捕されたそうです。
そして明るみにでた姉の犯行動機は、以下の通りです。
「チエミが羨ましかった。
温かい家庭に育ち、スターとして注目される妹と日陰を歩く自分との差に、妹を陥れようとした」
ひどい嫉妬ですね。
いやはやひどい言いがかりもあったものではありませんね。
離婚の原因はチエミさんの親族にまつわるトラブルからで、チエミさん側からの申し入れで離婚した。
以上江利さんに取っては、けじめを付けるためにこれ以上高倉さんに迷惑をかけたくなかった事と、高倉さんを愛していたが故にこれ以上迷惑をかけたくなかったために、ついに、1971年9月3日に離婚を江利さんから一方的な申し入れ離婚したそうです。
結婚生活は12年でした。
この時、高倉健さんは40歳、江利チエミさん34歳でした。
その後の江利チエミさんは
その後江利さんはどうしたのでしょうか?
借金返済
江利チエミさんは、借金を返すため、地方営業を中心に仕事をこなしていったそうです。
かつては、東京で華々しく活躍していたのに。
きっとギャラが良かった事とスキャンダルを抱えたまま人々の好奇な目で見られる事を避けたかったのではないでしょうか?
そして、江利チエミさんは10年後には姉が作った負債を全て返済したそうです。
やはりすごいですね。
10億以上あった借金を10年間で返済したのはやはり江利さんの実力とその当時の日本の経済状態が大きいものと思われます。
返済後の江利さんは?
借金返済のために過重労働がたたって、生活習慣が、自宅に帰っての深酒になっていったそうです。
まあ、自宅と言っても帰宅しても誰も待っていない。
かつては、愛する夫がいた家庭が今や独り身の孤独。
その孤独感をかき消すための深酒を繰り返すと言う酒を飲むパターンで典型的に身を持ち崩すパターンに入っていったみたいです。
そんな江利さんですが、1982年(昭和57年)2月13日午後、港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上で、うつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸・心音とも反応が無く死亡が確認された。
45歳と言う早い死去でした。
死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。
数日前から風邪を引き体調が悪かったところに、ウィスキーの牛乳割りを呷り、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入った事が一因とも言われている。
何かやるせないですね。
離婚してから11年後の死だったので借金返済してすぐに死んでいるのだから何をしていたのだろうかと考えてしまします。
言い方は悪いかもしれませんが江利さんが、落ちぶれた一方高倉さんの人気実力は向上していったのだから人生の皮肉を感じてしまいます。
江利さん死亡後の高倉さんは?
元奥さんの突然の死、これも何かの因縁めいた物があり葬式の時江利チエミの柩が玄関を出たのが、2月16日でしたが、偶然ですが、高倉健との結婚の時に、花嫁衣装を着て実家の玄関を出た日と同じだったそうです。
まさに幸せと終わりが同じ日になっていた事に何かやるせない物を感じます。
葬式には、高倉さんは、会場に現れませんでしたが、本名の「小田剛一」で供花を贈り、また会場の前で車を停めて手を合わせていたそうです。
きっと悲しみに打ちのめされた自身を人目にさらしたくなかったのだと思います。
その後命日の墓参りや自宅を2億円かけて建て直したそうで、その家はかつて江利さんとの愛の巣で火事で全焼したものでした。
それは江利さんとの思い出が詰まっているからという理由だけでなく、江利さんのお墓から200mほどの場所だそうです。
大物女優から言い寄られていた
そんな高倉さんですが、やはり周りの女性がほっておかないわけで、さる大物女優がかなり言い寄っていたそうです。
しかし高倉さんは、決して首を縦には振らなかったそうです。
高倉健さんにとって、唯一無二の妻は生涯ただ一人江利チエミさんだけだったようです。
その思いは、終生変わらなかったそうです。
いかにも健さんらしい愚直で不器用な男を出していると思いますがそこがこの方の魅力でもあります。
最後に二人をくっつけた清川さんがこの二人について以下の通り述べています。
「チーちゃんは健ちゃんと約束してたんです。
“世の中が私たちのことを忘れたら、ダーリンまた一緒になってくれる?”と。
健ちゃんも“そうしよう”と答えたんです」
何かやるせないですね。
事件がなければ二人寄り添っていけたのかと思うと残念でなりません。
では、今回はここまでにしたいと、思います。
今回の前の記事については以下の頁にございますのでどうぞよろしくお願いします。
「高倉健さんの生い立ちと映画界入りのキッカケ映画一覧・人気ランキング」
「高倉健さんの想いを貫いた元妻江利チエミとの馴れ初めについて」
続きは以下のページになりますのでどうぞよろしくお願いします。
「高倉健さんの死因は?・長寿の秘訣はコーヒー好き・エイズ死亡説?」
「高倉健さんの養女は一体誰?名前は?・写真は?・不可解な行動とは?」
では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。