熊田曜子さんの芸能界入りと高校時代の激太りと子供時代の写真


今回は、熊田曜子さんを採り上げたいと思います。

今まで、井上和香さん・安めぐみさんなどグラビアアイドルを採り上げましたので今回はその流れで熊田曜子を見ていきたいともいます。

しかし、困った物です。

この方の画像見ていたらほとんど水着姿で。

この手のブログで水着姿は、×なんですけどね。

では、まずは毎度のプロフィールからです。

熊田 曜子さんのプロフィール

名前:熊田 曜子(くまだ ようこ)
愛称:くまよう・ようこちゃん・くまちゃん・くまっち
生年月日:1982年5月13日
現年齢:35歳
出身地:岐阜県岐阜市
血液型:O型
公称サイズ(2016年[1]時点)
身長 / 体重:164 cm / ― kg
スリーサイズ:92 – 56 – 84 cm
靴のサイズ:24.5 cm

活動:
デビュー:2001年
ジャンル:グラビア
モデル内容:水着
他の活動:タレント、女優、歌手
事務所:アーティストハウス・ピラミッド

 

熊田曜子さんの経歴

一輪車が得意?

生まれは岐阜県岐阜市に生まれ、幼い頃からスポーツ万能名少女時代を送ったそうです。

そんなスポーツ万能少女にとって一番の得意種目が一輪車だそうです。

私が幼い頃一輪車に乗る人と言えば大道芸人ぐらいしか思いつきませんが、確かにいつの頃か知りませんが、近年小学校などで一輪車に乗っている小学生を見かけることが増えましたので、恐らく小学校の体育の時間か何かで採り上げられているのではないかと調べてみたところ、どうも選択科目の中に有るようですね。

そして大体の傾向として男子より女子の方が一輪車が上手な傾向があるようです。

きっと熊田曜子さんもその傾向にそったものだったのだと思います。

腕前もかなりの物でテレビで天才一輪車少女として採り上げられたほどですから大したものだと思います。

もうその頃からテレビに出演する将来が暗示されていたのかもしれませんね。

熊田曜子さんには、3歳年上の兄がいるそうです。

後に熊田曜子さんの子供時代の写真を掲載しますが、その中でお兄さんと並んでいる写真がありますので中のよう兄弟ぶりがうかがえます。

中学時代はソフトボール部、高校時代はソフトテニス部に所属していた。

特に高校時代は1時間以上かけて通学してたそうです。

芸能界入りのキッカケ

熊田曜子さんの高校時代にさかのぼりますが、関市立関商工高等学校商業科に在学中の高校3年生のころに、これも毎度のパターンですが、週刊少年マガジンの水着コンテスト、ミスマガジンに応募したそうです。

応募はしているのですが、当の本人は遊び半分の本気ではなかったようです。

しかし本人の意志とは裏腹に、最終選考まで残ってしまったそうです。

中には、芸能界入りを本気で考えて応募してくる猛者がいるかと思えばおもしろ半分で応募して優勝してしまう人もいる。

この世の中の不思議を感じてしまいます。

母親の猛反対

オーディションに優勝したものの、母親の猛烈な反対により辞退させらたそうです。

ちなみに熊田曜子のお母さんは、看護師をしていたので、自分の娘も看護師にしたいと考えていたのか、熊田曜子さんは、看護学校へ進学します。

確かに看護師は、安定していて食いっぱぐれることはありません。

そして何より熊田曜子さんは、若いときから体を鍛えていたので丈夫でしょうから、身体的には看護師になる最低限の素養はあった物と考えられます。

これは、私事ですが、私の周りにいる看護師の方で何割かの方は、親族の方が看護師で、自分も看護師になると言うケースは多い様に思われます。

さて、熊田曜子さん、看護学校に進んだ物の、芸能界入りの夢を捨てきれず、雑誌『Audition』の「2001年秋の特別オーディション」に出場しました。

一旦スポットライト浴びると中々あの快感を忘れることが出来ないようです。

そのオーディションに芸能事務所のアーティストハウス・ピラミッドの目にとまり合格してしまいました。

またまた合格したのですから此処まで来たらまぐれではなく実力を持っていたのでしょうね。

これだけの実力を持った熊田曜子さんが、もし看護師になっていたらきっと患者さん達が、熊田曜子を指名して入院患者が増えるんじゃないでしょうか?

そんなことを妄想してしまいました。

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【画像】看護師姿の熊田曜子さん

強行手段

先ほども書いたように熊田曜子さんは、諦めきれないようで、さりとて母親は大反対。

そこで熊田曜子さんは、最後の手段に打って出ます。

母親が、海外旅行中に行った隙に、手続きを済ませ芸能界にデビュー果たしてしまえと言うかなり大胆な手段に打って出ます。

その時神風が吹いたようで、海外旅行中に行っただけでなく天候が、荒天だったので帰国が数日程度遅れたことも幸いしたそうです。

こうして既成事実を作ってしまったので親も反対出来なくなったようです。

こうして2002年下半期から2003年上半期にかけて当時同じ事務所に所属していた小池祥絵、伊藤絵理香、相楽のり子らとともに『P-GIRL』というグループで活動していくことになりました。

熊田曜子さんの子供時代の写真

では、ここで、子供時代の写真をいくつか掲載したいと思います。

上の記事でも触れたようにお兄さんとの写真です。

この頃からかわいらしく評判だったそうです。

【画像】熊田曜子さんの幼い頃
この時分は、まだあどけなさが残っていて後年のグラビアモデルを感じさせる物はないように思います。

【画像】熊田曜子の学生時代1

激太りの高校時代

恐らく熊田曜子にとって思い出したくない時代の一つがこの時代であろうと思います。

元々体操万能でならしていて、部活に精を出していたので、この時分の食欲が半端じゃなく一日五食食べていたそうです。

朝練後に弁当を食べてしまい、昼食時に食パン一斤を平らげてと言うペースだったので、一日五食も食べていたので、一時体重が60キログラムを超えていたそうです。

その自分のあだ名が○○ゴリラだったそうです。

年頃の女性にとってかなりショックでしょう。

しかし同じ高校の陸上部で1年先輩にあたる後に俳優になる綾野剛さんがいたそうです。

その時分の綾野剛にあこがれて猛烈なダイエットに励んだのが後のモデル熊田曜子を作っていったそうです。

何事も順風満杯でなく宇様曲折がある物ですね。

【画像】熊田曜子の学生時代2

こうしてモデルデビューした熊田曜子さんですが、写真集を出したそうですが、全く売れなかったそうです。

次回は、この辺を中心に見ていきたいと思います。

では、今回はここまでにしたいと、思います。

続きは以下のページになりますのでどうぞよろしくお願いします。

「熊田曜子さんの写真集 the greates・売れない理由とは?」

「熊田曜子の旦那ってどんな人?関東連合?会社名は電通?浮気?結婚は?」

「熊田曜子さんの子供・何人・名前・性別・顔写真・誕生日・幼稚園・ダウン」

では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

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