今回は、羽生善治さんをとりあげます。
羽生善治さんは、1985年にプロ入りした将棋棋士です。
プロデビューしたのも衝撃的な出方をしました。
デビュー以来多くのタイトルを獲得してきた棋士で、1996年2月には将棋界の7タイトルを独占するという史上初の偉業を成し遂げました。
羽生善治さんと言えば、デビューした当時、寝ぐせの頭と将棋の対戦中の「羽生にらみ」は有名です。
そんな、羽生善治さんですが、1995年7月に女優の畠田理恵さんと婚約発表しました。
これも衝撃的でした。
私的に、畠田理恵さんの結婚相手が、羽生善治さんと言うのが結びつきませんでした。
それと子供の頃より羽生善治さんは活躍していたので、なんかまだまだ子供のような感じの羽生善治さんが、畠田理恵さんと結婚するというのが違和感を感じました。
では、そんなお二人はどんな感じなんでしょうか?
Contents
羽生善治さんの子供は3人?
では、羽生善治さんと畠田理恵さんですが、お子さんはいるのでしょうか?
お二人の間には、二人のお子さんが居るそうです。
内容は以下の通りです。
・第一子女児(名前:羽生舞花)・1997年7月・2017年時点20歳
・第二子女児(名前:羽生桃花)・1999年11月・2017年時点18歳
一部の噂で3人お子さんが居るという噂があるそうですが、見てきたように2人だけだそうです。
羽生善治さんの子供の学校は東洋英和・大学は、慶応医学部?
では、この二人の娘さんですが、どこの学校に通っているのでしょうか?
天才棋士羽生善治さんの血を受け継いでいるのだからスゴイだろうと調べるとやはりすごかったです。
二人とも超名門中高一貫の女子高校(偏差値73)に進学されたそうです。
そして長女の舞花さんは、慶應医学部に進学しているという話があるそうです。
【画像】慶応大学医学部
他の噂としては、慶應医学部では無く、別の国立大学の医学部に在籍しているという話もあるようです。
もしかして東京大学医学だったりしてです。
慶応大学医学部と東京大学医学部は、偏差値的に僅差のようですから。
そうであってもおかしくありませんからね。
そんな名門大学に進学するのだから、高校時代もすごかったようです。
娘さん二人とも田園調布雙葉高校に在籍していたという話です。
【画像】田園調布雙葉高校
しかし一方では、東洋英和女学院高校ではないかと言う見方もあるそうです。
【画像】東洋英和女学院高校
両方とも共通するのは、高偏差値のお嬢様学校である事です。
ちなみに、田園調布雙葉高校ですが、偏差値も70くらいだそうです。
この学校は、早稲田大学・慶應大学・上智大学などへの、進学実績が良いそうです。
一方、東洋英和女学院高校という話が何故出たのかは不明ですが、長女は初めは、後に雙葉中学校・高等学校に通っていたが、後に東洋英和女学院に転出したいう見方があるそうです。
フィギュアスケートも
こうしてみていると勉学優秀という点だけが注目されますが、フィギュアスケートをしていたそうなんです。
しかしやはり受験のためか、現在では、フィギュアスケートをやめて、学校の勉強に専念しているようです。
医学部に進学するのであれば致し方ないですね。
まさに文武両道ですね。
羽生善治さんの子供時代は
では、今まで羽生善治さんのお子さんに着いてみてきましたが、羽生善治さん自身の子供の頃ですが、どんな感じだったのでしょうか?
羽生善治さんですが、今では史上初となる永世七冠を獲得した棋士ですが、子供時代からその片鱗はあったようです。
まだ、子供の頃に将棋の大会があると、参加している羽生少年は、よく広島カープの赤い帽子をかぶっていくことが多かったそうです。
そして参加する大会はことごとく優勝するのですが、いつの頃かそんな羽生少年のことを周りの少年達は、「恐怖の赤ヘル」と呼んだそうです。
【画像】羽生善治さんの子供の頃
何か怖い呼び方ですね。
そんな負け知らずの羽生少年ですが、その片鱗は幼稚園の頃からあったそうです。
では、どんな片鱗があったのでしょうか?
少しご紹介します。
幼稚園の頃のエピソード
幼稚園の頃お絵かきの時間に羽生少年は、「不可解な行動」をしていたそうです。
クレヨンと白紙を渡されてもすぐには書き始めなかったそうです。
「微動だにせず、何も描かない。」
本人曰く、
「頭の中で「絵の構図」を決めて、「完成された絵」が頭の中にできあがってから手を動かす。」
将棋の時と同じパターンですね。
やはり一芸に秀でる人間は何か違うエピソードを持っていますね。
じかしそんな羽生少年は、幼い頃から将棋の英才教育をされたのではなく、結果的にそうなったそうです。
ではどんな事情からだったのでしょうか
将棋に進んだわけ
羽生善治さんが、どうして将棋の道に進んだのかその理由について、以前雑誌のインタビューに答えたそうです。
以下引用します。
「長谷川:小学校では何をして遊んでいましたか。将棋一筋だったのでしょうか。
羽生:いいえ、そんなことはありません。流行りものも、ひと通り遊びました。
ルービックキューブとかヨーヨーとか。休み時間は、小学校の高学年の頃は、だいたいサッカーをしていました。
『キャプテン翼』の漫画とともにサッカーが流行り始めた頃だったので。
郊外の学校でグラウンドが広かったこともあり、20分休みや昼休みなどの長い休み時間は、ほとんど外でサッカーでしたね。
家に帰ってからは将棋を指すことが多かったと思いますが、学校ではクラブ活動の週1回以外は将棋はやりませんでした。
“将棋をじっくりやる「きっかけ」”としては、親の都合があったようです。
長谷川:将棋をじっくりやる「きっかけ」は何だったのですか?
羽生:週末の買い物ですね。実家が街から離れていたので、週末になると家族で1週間分の買い物に出かけていました。
その時、私は地元の将棋道場で将棋を指して、買い物が終わった頃に家族が迎えに来たら帰るという、そういう生活だったんです。
(中略)
もちろん楽しくなかったということはなく、「よくわからないけれど、面白い」と思ったと語っています。
普通のボードゲームは何度もやっていくうちに勝ち方がわかり飽きたが、「将棋はそれがまったくなかった」から夢中になったと言っています。
ここらへんは持って生まれたものですね。
引用:羽生善治三冠インタビュー「親の期待がなかったから強くなれた」|ダイヤモンド・オンライン 2014年5月16日 長谷川敦弥
やはり子供の頃の初めのとっかかりが大切だと思います。
子供は楽しいと思った事に夢中に取り組みます。
それが役に達とかでなくただおもしろいかどうかです。
そんな性格だったので恐らく子育てにも生かされたのではないかと思います。
今後の活躍にも期待したいと思います。
では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
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