宇崎竜童と嫁の阿木燿子との間に子供はいるのか?馴れ初めは?


今回は、宇崎竜童を採り上げます。

宇崎竜童と言えば曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が有名ですね。

私が幼い頃大ヒットしその中のフレーズの「あんたあの娘のなんなのさ」は流行語にもなりました。

そんな宇崎竜童が、芸能界でビューしたキッカケは、コンサートに飛び入り参加した時レコード会社のスカウトマンの目にとまり1973年に「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」を結成しました。

そしてファーストアルバムのシングル「知らず知らずのうちに」が芸能界デビューの始まりのようです。

そんな宇崎竜童ですが、1971年12月に作詞家の阿木燿子さんと結婚を発表しています。

では、そんな宇崎竜童の子供について見ていきます。

 

宇崎竜童と嫁の阿木燿子との間に子供はいるのか?そのわけは?

 

宇崎竜童ですが、子供はいるのでしょうか?

調べると、宇崎竜童には、子供が、いないようです。

では、宇崎竜童には子供が居ないのでしょうか?

調べると、子供がいないもしくは出来なかったのか詳しい理由は不明です。

ただ結婚40年になりますが、二人の夫婦仲は大変良いようで今もって浮気や不倫などと言う噂もないようです。

 

宇崎竜童と嫁の阿木燿子との馴れ初めは?作曲活動と山口百恵との関係は?

 

宇崎竜童には、子供が居ない事が解りました。

その理由について解らない事も解りました。

では、宇崎竜童について次に興味があるのは嫁についてのようです。

そして宇崎竜童と嫁は、双方音楽活動している事は有名です。

その為に宇崎竜童と嫁の音楽活動についても興味があるようです。

では、今まで軽く触れましたが、宇崎竜童の嫁の名前は、作詞家阿木燿子さんです。

夫は、歌手・作曲家で、嫁は作詞家最強のタッグだと思います。

その実力が最大限に発揮されたのは、歌手・山口百恵さんだと思います。

歌手・山口百恵さんが、歌った歌のほとんどがこの二人に手によって生み出された物という事は有名な事であり今では伝説の領域に来ています。

では、宇崎竜童と嫁の阿木燿子とどのように知り合ったのでしょうか?

 

宇崎竜童と嫁の阿木燿子との馴れ初めは?

 

この二人の出会いは、大学の軽音楽クラブのようです。

二人とも大学は明治大学のようですが、そのクラブで宇崎竜童が、初めて声を掛けたのが嫁の阿木燿子だったのがキッカケのようです。

後年、宇崎竜童は、大学の事を以下のように述べています。

「大学は仕事と嫁の両方を見つけてくれた最高の場所だった」

また嫁に対して初めての印象について以下のように述べています。

「初めて会った気がせず!前世でもあっているかの様に思え嫁にするならコイツと直感的に思えた。」

スゴイ出会いですね。

その後宇崎竜童は、すぐにでも結婚したかったようで、プロポーズしたようですが、嫁の阿木燿子は、少し待ってと言ったそうです。

それから7年経ってプロポーズを受け入れたそうです。

結構長かったですね。

こんな二人ですが、夫婦生活円満の秘訣について宇崎竜童は以下のように述べていますので紹介します。

「・宇崎竜童さんがゴミ捨て担当
 ・妻には敬語
 ・相手に要求しない
 ・自分は4分の1人前

引用:宇崎竜童と嫁・阿木燿子に子供は居る?仲良し夫婦の年齢や馴れ初めは?」

如何にもお幸せそうで何よりです。

スゴイですね。

宇崎竜童が妻に対して低姿勢ですね。

見た目とは随分違いますね。

ここまですれば円満になりますね。

 

宇崎竜童と嫁の阿木燿子の作曲活動と山口百恵との関係は?

 

宇崎竜童と嫁の阿木燿子が作詞作曲活動している事は有名です。

そんな二人ですが、やはり曲を提供した相手が伝説の歌姫であれば、作詞作曲した人も又伝説になります。

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そうしてみると、宇崎竜童と嫁の阿木燿子と山口百恵との関係は、やはり避けては通れないところです。

宇崎竜童と嫁の阿木燿子と山口百恵のコンビで多くのヒット曲が世に出ました。

そのすごさは、恐らく今の多くの歌手も叶わない伝説です。

どこかで聞きましたが、現在の歌姫・安室奈美恵も山口百恵のようになりたかったと語ったとか。

そう言わしめるこのコンビです。

では、このコンビの有名な曲について一例を掲載します。

「横須賀ストーリー
初恋草紙
夢先案内人
イミテイション・ゴールド
乙女座 宮
プレイバックPart2
絶体絶命
曼珠沙華

美・サイレント
愛の嵐
しなやかに歌って
謝肉祭
ロックンロール・ウィドウ
さよならの向う側
あなたへの子守唄

引用:阿木燿子と旦那の宇崎竜童との間に子供はいる?若い頃が美人! 」

きら星のごとくですね。

又、宇崎竜童と嫁の阿木燿子が、山口百恵について印象など以下のように述べています。

「1975年に発売された、宇崎竜童さん率いる、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』。

この曲で作詞家デビューを飾ったのが、宇崎さんの妻・阿木燿子さんです。

阿木さんは横浜出身。

その後、実家が移転したのが横須賀でしたが、 自分にゆかりのある二つの街を舞台に、夫のために作詞したこの曲は、いきなり大ヒット。

「アンタ、あの娘(こ)の何なのさ」というフレーズは、当時の流行語にもなりました。

夫婦による作詞・作曲で一躍注目を浴びた阿木・宇崎コンビでしたが、翌76年、二人のもとに突然、こんな依頼が舞い込みました。

「山口百恵に、曲を書いてもらえませんか?」しかも「百恵さん本人の希望らしい」という噂も耳に入ってきました。

阿木さんは「まだ10代のトップアイドルが、私たちのような駆け出しのコンビに、自分で曲を書いてと言ってくるわけがない。

そんなことはあり得ないと、まったく信じていませんでした」。

アイドルは、事務所の言いなりになるのが普通。

自己主張するなんてとんでもなかった時代です。

阿木さん・宇崎さんへの最初の発注は、「アルバム用に、3曲ほど書いてほしい」でした。

いったい何を書けばいいのか、百恵さんとは年齢も少し離れているので、とても迷ったという阿木さん。

ふと気付いたのが、百恵さんが「横須賀出身」ということです。

自分の実家も横須賀。

共通点を見付け、曲の舞台にしようと決めました。

横須賀は、横浜と同じ港町ですが、両方の街を知る阿木さんは、大きな違いがあると言います。それは…「陰(かげ)」。

「横浜は明るい港町ですけど、横須賀は軍港でもあり、軍艦も停泊していて、同じ港町なのに、どこか陰があるんです」

そんな横須賀のイメージが、同じく「陰がある」と言われた百恵さんと、ぴったり重なりました。

さっそく横須賀を舞台に、ある男女のストーリーを描いていった阿木さん。

逢うたびに、いつも煮え切らない態度を取る男性。

「私って、都合のいい女なのかな…」だけど、面と向かっては聞けない。

そんな辛い恋をしている女性の心のつぶやきが、サビのこの歌詞になりました。

「これっきり これっきり もう これっきりですか」

数年前、阿木さんと宇崎さんは、百恵さんと久しぶりに再会。

一緒に食事をしました。

そこで、ずっと聞けなかったことを聞いてみたそうです。

「私たちに曲を依頼したのは、百恵さん自身だ、っていう噂がありますけど、本当なんですか?」

…百恵さんの答は「はい、そうです」。

引用:阿木燿子と旦那の宇崎竜童との間に子供はいる?若い頃が美人! 」

何か運命的な物を感じます。

やはり伝説になるような人は、この様な言い様のないインスピレーションのような物があるような機がします。

今回は、宇崎竜童の子供事情に付いてみてきました。

残念な事に子供はいませんでしたし、理由ははっきりしませんでした。

しかしこのやはり夫婦は、曲という子供を沢山世に出す事が出来ました。

そしてその子供達は、伝説になりました。

今後も二人仲良く暮らしていって欲しいと思います。

では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

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