ラサール石井の子供は?子供時代は?入江塾について

今回は、ラサール石井を採り上げます。

ラサール石井と言えば、バラエティー番組の「オレたちひょうきん族」・「平成教育委員会」が有名ですね。

そんなラサール石井が、芸能界でビューしたキッカケは、早大在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所しそこで、コント赤信号を結成し1980年の「花王名人劇場」でテレビデビューしたのが始まりのようです。

そんなラサール石井ですが、2度結婚しているそうです。

一度目の結婚は1979年に結婚をしています。

まだ売れない芸人時代から苦楽を共にした糟糠之妻とも言われたそうです。

しかし2011年に離婚したそうです。

二度目の結婚は2012年1月に32歳年下の現役女子大生の桃圭さんと再婚をしています。

結婚当時、薬学部に通われていて、薬剤師の国家試験を受けようとしていたそうです。

では、そんなラサール石井の子供についてみていきます。

ラサール石井の子供は何人?名前・性別・誕生日・画像は?

 

ラサール石井ですが、子供はいるのでしょうか?
調べるといるようです。

ラサール石井には、子供は、2人の娘がいるそうです。

ただ、冒頭でも述べたようにラサール石井は2回結婚されていて、前妻との間に生まれたお子さんのようです。

再婚相手の桃圭さんとの間には子供はいないようです。

では、桃圭さんとの間に子供が欲しくなかったのでしょうか?
どうもそうではなく本人は欲しかったようです。

その事について記載された物がありましたのでご紹介します。

「子供はおらず、計画もなし?

ラサール石井さんと嫁・桃圭さんの間には2017年3月現在子供がいないようです。

2013年1月時には、ラサールさんから子供を諦めているようなコメントも出ていましたが…。

結婚会見で、週2回励んでいるという45歳差婚の加藤茶(69)に対抗して、週3宣言も飛び出していたが、「跡継ぎ? それはないかもしれない。老後は薬局をやって、店番してるおじいさんになろうかな」と笑顔で話していた。

引用:ラサール石井、32歳下の妻とそろって受験

引用:ラサール石井の嫁と子供情報!現在の妻の画像&元妻との離婚原因あり」

本人は欲しいようですが、やはり年には勝てなかったようですね。

なので前妻の二人の娘だけが、ラサール石井の子供のようです。

では、その二人の子供について以下見ていきます。

ラサール石井の子供の名前は?

 

次に、子供の名前ですが、名前は公表されていないようです。

やはり離婚した嫁と一緒に暮らしているので情報が出にくいですね。

ラサール石井の子供の誕生日は?

 

では次に誕生日が気になるところです。

こちらも誕生日について公開されていないので不明です。

ただラサール石井は、2011年1月に前妻との離婚し、ラサールさんと元嫁が結婚したのは1979年です。

なのでその間が誕生日と言うことになりますね。

ラサール石井の子供の画像は?

 

では、どんな子供でしょうか?

調べると、やはり子供の顔は公表されていません。

ラサール石井の子供の学校は?

 

次に、ラサール石井の子供が通う学校について調べてみました。

調べた結果、【玉川学園】のようです。

ここだけはかろうじて情報が見つかりました。

ラサール石井の子供時代は?

 

今までラサール石井の子供について見てきました。

では、ラサール石井の子供時代はどんな感じなのか見ていきます。

芸名のラサールとあるので、受験関係を知っている人なら知っていると思いますが、鹿児島の名門校ラサール高校が、ラサール石井の母校でここから芸名がラサール石井となったようです。

では、そんなラサール石井の子供時代はどんな感じでしょうか?

出身は、大阪市住吉区帝塚山出身なので、大阪の人ならご存じでしょうが、高級住宅地の一つですね。

でもお笑いの町大阪の子供らしくラサール石井も子供時代からお笑いに興味があったようです。

そんなお笑い好きの少年だったわけですが、そんな穏やかな日は長く続かなかった訳です。

それが激変したのは、関西の有名学習塾「入江塾」に入塾したときから始まります。

この塾は、大阪ではかなり有名な進学塾です。

指で鉛筆をくるりと回すのがありますが、それはこの塾が発祥のようです。

理由はライバルを心理的に圧迫するためだそうです。

ラサール石井はこの塾に1960年代から1970年代にかけて通っていたそうです。

将来東大でも受験したかったのでしょうか?

理由は、遅刻防止のため住み込みで通っていたそうです。

後、以前他の番組でラサール石井本人が、入江塾について述べていましたが、家の近所にあったという理由からだけで有名進学塾だからと言う訳ではなかったようです。

では、この入江塾ですが、参考までにご紹介します。

「今は昔、大阪に入江塾という学習塾があった。
入江伸(1917~2006)というカリスマ講師が指導に当たり、大阪の灘高志望の中学生が集まり、毎年、大量の合格者を輩出していた。

昭和40~50年代の話である。

同塾の灘高第一志望の生徒たちは、塾生一丸となって、

灘高 ⇒ 鹿児島ラサール高校 ⇒ 愛媛愛光高校 の弾丸受験ツアーを敢行し、この順番で合格した学校に入学していった。

ちなみに、ラサール石井もその少年たちの一人であった。

灘高に落ち鹿児島に行くことになり涙するラサール石井に入江は、「人生ほど甘いものはない。何度でもやり直しがきく」と言って励ましたという。

 

灘高入学定員55名に入江塾から30名合格、といった驚異の合格実績に出版社も注目し、入江は自分の教育観と指導法をたくさんの著作に残した。

2015年、祥伝社は入江の過去の著書を元に、『伝説の入江塾は何を教えたか』を刊行した。

彼の指導理論、指導方法は現在の学習塾や進学校で行われているものとは、全く異質である。

  ・過去問の傾向と対策は一切やらない。

  ・模試の偏差値等の数値データは無意味と断じ一切使わない。

  ・入塾希望者は、意欲さえあれば学力は問わずに無条件で受け入れる。

  ・教師からの一方通行の講義はあまりしない。

  ・塾での自学自習と、生徒の自発的なグループ学習が中心。

  ・グループ学習は成績別にしない。玉石混交がベスト。

  ・生徒が問題を自分で作ってきて、グループでその問題について議論を深める。

  ・長期間の過酷な合宿生活を行い、生活力、人間力を高める。

ちなみに、入江は有名中学受験には徹底的に反対の思想を持っていた。

小学生の段階では無理に勉強させようとしてはいけない。
子どもの自発的な興味・関心を思う存分伸ばしてやることが将来につながる。

大人の思惑で子供に功利的な受験勉強をやらせるのは才能の芽を摘む結果となる、というのが彼の考えであった。

従って入江塾では、中学生以上しか受け入れていなかった。

「生徒の心に火をつける力」では圧倒的であったことは間違いないようである。

引用:入江塾 - カリスマ講師が灘高に生徒を大量合格させた塾の話」

何か今の受験の塾とは全く異質な塾ですね。

でも本当の教育をしていたのだと思います。

後ラサール石井は、入江先生のエピソードとして灘高校の受験に失敗し鹿児島のラサールを受験する時に夜行列車で移動したそうですが、その列車の中で”今から勉強だ!”と言ってどこから出してきたのか机を用意し勉強を開始したそうです。

そしてその甲斐あってかラサール高校に合格した時本人以上に先生が涙を流し喜んでくれたそうです。

それを見たラサール石井は、鬼の先生と思っていたが、本当は言い先生なんだと思ったと後に語っていました。

ラサール石井の子供時代の画像は?

 

では、ラサール石井の子供時代の画像はどんな物か調べてみました。

するとありましたので以下に掲載します。

【画像】ラサール石井の子供時代の画像

何かかわいらしいですね。

今回は、ラサール石井の子供事情に付いてみてきました。

残念ですが現在の嫁との間には子供がいませんが、前妻との間に娘がいるようです。

今度のようになっているのか興味があるのですが・・・・。

いずれにしても、今後の活躍を見ていきたいと思います。

では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

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